急須で入れたようななにか

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決定ボタンを押す行為は偉大

2025年5月13日

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この世で一番偉大な行為は決定ボタンを押す行為かもしれない。

何かを確定させる前の不確定な状態には無限の可能性がある。
不安定な状態なのに何故か一番ワクワクドキドキがある。

新卒採用はその一つで、内定承諾という行為によってある意味人生の方向性がある程度は絞り込まれてしまうような感じがして、結果としてどの企業を選んでも少なからず後悔はするらしい。
結婚でマリッジブルーという名で知られている現象も、それに近いのかもしれない。

無限の可能性から1つに絞り込むという行為はかなりつらい。

付き合う前の両片思いが楽しいだとか、旅行の計画を練っているときが一番おもしろいとか、人間の報酬系は結果じゃなくて妄想に働いているんじゃないかと思う。

ドーパミンがそう出てるからといえばそうなのかもしれないが、それにしては現代と相性が悪すぎる。
現代は決定事項が多すぎる。
そして結構しっかりタイムリミットまで付いている。強制スクロールのゲームみたいに。

決定ボタンを押せる人間は強い。
もしかしたら決定することで新しい可能性が広がるのかもしれない。
それは決定によって失う可能性よりも大きいものである可能性も十分にあるけれど、決定して何年かしないときっと分からない。

逆に考えたとき、決定ボタンを押させるハードルは高い。
決定内容の魅力で勝負するだけでなく、決定しない状態の魅力とも戦わなければいけない。
就活のように1つを選ぶ必要があるものならこの減点効果は薄いのかもしれないが、恋愛のように付き合うか付き合わないかといった「決定しない」という選択が取れる状況下においては、かなり減点作用があるように見える。

でも実は、決定しないという行為は可能性を狭めているのかもしれない。
なぜか普段の何気ない意思決定には「ただし時間は無限にあるものとする」という前置きが人間にはある気がしてならない。シャワーを浴びながら将来への恐怖は感じるのに。

金曜日はあまりにも良い例だ。
土日を有益に使えることは極めて難しいのに、無限大の可能性に心を踊らせて夜を過ごす。
だらだらと可能性にしがみついて土日を過ごし、日曜夜に「月曜が近いよbot」を見て憂鬱になる。

でも水曜夜に金曜夜のような無限の可能性を感じることはない。

つまり時間が無いとき、言い換えれば実現性が無いとき、可能性の悪魔から解放してもらえるらしい。
でも宝くじという極めて低い確率ですら可能性を感じてしまうのが人間なので、そう簡単に可能性からは逃げられないのだが。

だから、可能性と実現性はセットで考えないといけない。

彼女を持つ男が、彼女が推すアイドルと彼氏である自分を暗黙的に比較されているように感じて、前者にある種のズルさを感じる感覚に近いかもしれない。
良い点しか見えない可能性に溢れた届かない存在と、酸いも甘いも全部曝け出した現実の存在だと、実現性という観点がボヤけたとき容易に前者に負けそうで怖い、みたいな。

大谷翔平選手は大事な試合の前に「憧れるのをやめましょう」といったらしい。
​背景も意味も違う上に少し極論な気もするが、この言葉はすごく大事な気がする。

もちろん可能性に憧れるのは大事だが、実現性もセットで見る必要がある。
人生にも薬の説明欄みたいに「憧れるのは、用法用量を守りましょう」って注意書きしてほしい。

決定という行為は可能性と実現性の塩梅を確定させる行為だと思う。
だから決定ボタンを押してる人を見ると、すごくかっこいいと思う。