急須で入れたようななにか

雨季の八重山列島をできる限り攻略したい

2023年3月2日

15 分くらいで読めます!

みなさんは八重山列島をご存知だろうか。
一節によると18世紀初頭に記された中山伝言録にその名を由来し、与那国島や石垣島を始め無人島まで合わせると23島からなる沖縄県は先島諸島の一部である。
またすべての有人島が離島振興法による指定離島を受けている。

新城島(あらぐすくじま)のように民俗学上特筆すべき地域も多く、またこれらの地域の方言は国際的には八重山語与那国語と日本語とは区別されて扱われているなど、もはや文化的に国外と行っても過言ではない極東最西端の列島である。

しかし2008年のフェリー廃止により、本土から八重山列島への到達は空路のみとなった。
旅客機の出番である。

全日本空輸の国内線で現在最も高い航空運賃である羽田石垣航路だが、70周年セールにより7000円となった。美土路昌一氏には足を向けて寝られない。

寒空の下、宇都宮を発ったとき気温は-5度であった。
しかし八重山列島に来てみれば常に20度前後をうろちょろしている。
八重山列島は北緯24度線付近にありこれはハワイと同緯度で、温かいのも納得の理由である。

ブログの前に

当時、森見登美彦先生の小説「夜は短し歩けよ乙女」の読後直後であったため、記事の文体がこの作品に極めて影響を受けています。ご了承下さい。
なお、このブログは純度100%の自己満足です。

石垣島

石垣島は専らの大都会である。ケンタッキーやドン・キホーテ、はてはスターバックスに至るまで都会の産物がお目にかかれ、我が地元のような本州の地方中枢都市より圧倒的に栄えている。

また八重山列島の各島を結ぶ船の殆どは石垣島より出港する。
その影響は極めて大きく、波照間島、西表島などからなる竹富町の役場は、石垣島(石垣市内)にあるほどである。
石垣島は八重島列島の政治・経済の中心地である。

宿

さて、八重島列島攻略のためには気まぐれな天候と戦わなければならない。
冬場の海は専ら荒れやすい。

予定が狂う可能性があり、宿での長期滞在の可能性もある。したがって宿の妥協は許されない。
しかし石垣島は絶好のリゾート地である。ビジネスホテルといえど1泊1万円はくだらない。

そこでゲストハウスの出番である。

ゲストハウスは寝具以外を共同設備とすることで安価に宿泊できる施設である。
また年単位で住んでいる人がいるなど大変に濃い空間である。
「今日は南西の風が吹いてたのに冷たくて不思議な気候だった」などRPGのにおける集会所のような情報の集まり方もする。

現代的に言えば生活空間を"シェア”するということだが、私は根っからの人見知りである。
無論、話しかけられた時の会話や挨拶はするが、そういった交流を自らは望んでいないのが正直な感想である。

かといって個室のある宿はあまりにも高すぎる。1泊6000円などが最安値として見つかったが、この価格では破産も免れない。

そこで半個室が存在しかつ全国旅行支援が使えるドミトリーを探し尽くした。

結果、ネットサーフィンの果てに最適とも呼べる場所にたどり着いた。

ネットカフェのような半個室である。
アコーディオンカーテンと仕切りのない天井に囲まれており、隣人に寝返りの音一つとして筒抜けだが、隠れ家的な魅力がある。

全国旅行支援を活用し一泊あたり3440円となった。
さらにここから地域クーポンが日曜1000円、それ以外の日は2000円付き、実質一泊1000~2000円ちょっとである。
もはや石垣島でこれ以上安く半個室を得られるだろうか。

さて、ここからはこの宿を拠点に訪れた八重山列島の島々について述べることにする。

波照間島

民間人が行ける国内最南端の島である波照間(はてるま)島に関しては別で記すことにした。
それなりに内容が多いためである。

黒島

黒島は人口の10倍牛がいることで有名である。
石垣港より黒島行きの船に乗る。

現在黒島行きの船は2社によって運行されており、時間上都合の良い8時発の八重山観光フェリーを利用した。

趣深い船内である。

チャリをチャーター

島を降り立って自転車をレンタルした。

島内にはもちろん舗装された道もあるが、より景色を楽しめる未舗装の道を進んだ。

異国の地に来たような気分で、大変に趣深い。

途中、子牛と目があった。
ここで幼少期を過ごした牛が黒毛和牛や石垣牛などになるらしい。

道中はため息が出るほどの美しい道である。
もはや2月に生きていることを忘れてしまうような景色である。

砂浜に寄り道をすると、大量の海藻が流れており印象深い。

黒島研究所

途中立ち寄ったのは島内にある黒島研究所である。
離島に佇む研究所というのは大変に趣深い。

館内にはサンゴなど島にまつわるものが多数展示されている。

島に流れ着いたロケット片すらもある。

これは猛毒の蛇である。

人懐っこいウミガメすらも居た。

研究所の展示を楽しんだ後は再び島内を自転車にて進んだ。

平坦な土地を眺めつつ進んでいく。
「のどか」という単語はこのために生まれたのではないだろうか。

キャングチ

島の南東部に桟橋の跡地のような遺構を見つけた。

シーサーが一つ佇んでいる。

崩れかけの遺構の中、シーサーだけが毎日洗われているかのような輝きがあった。

説明の看板も、Googleマップの情報も殆どない。
よってこれが何であったのかは分からないが、当時は大事な場所だったのだと思われる。

伊古桟橋

島の北部に自転車を進めた。

これは伊古桟橋である。
ここも現在は使われていない遺跡であるが、昭和10年建設とは思えないほど原型をとどめている。

桟橋の先端部にはエメラルドグリーンの海が広がっている。

道中、島内に1つしかない商店で買った炊込みご飯セットをここで食べることにした。

海の飛沫と糠雨に揉まれながらも炭水化物を摂取した。

誰もいない古びた桟橋で食べる昼食は、人生で早々体験できるものではない。

黒島展望台

最後に島を一望できる展望台に向かった。

展望台の道中にはスズメが見られた。

またカラスも驚くほどどこにでもいる。

展望台の頂上から見えたのは一面の平地であった。
島にいることを忘れそうなくらいである。

さて、借りた自転車を返しに向かうこととする。

帰路に水道記念碑を見つけた。
新城島と黒島の水不足について書かれており、現代インフラ技術の偉大さを痛感させられる。

道中見つけた印象的な花について少々紹介したい。

ランタナ。七変化と呼ばれるだけあって鮮やかである。

これはアサガオのようだがそうでない気もする。

私は蝶と蛾の区別もつかないくらい無知であるが、分かる範囲で撮った写真を掲載する。

密を吸う蝶はリュウキュウアサギマダラである。水色が美しい。

こちらはオオゴマダラである。

蝶々は至るところにいたのだが、私の凝り固まった脳ではすべて飛ぶ虫という一括りの認識をしてしまい、あまり写真がない。

西表島

西表島は県内では沖縄本島に継ぐ大きい島である。
チャリで巡ることは難しいため、安栄観光のツアーを利用することにした。

波浪注意報が出る中、船は荒波に揉まれて大原港に到着した。

島内はバスでの移動である。悪天候であったから大変にありがたい。
バスガイド兼運転手さんによるとイリオモテヤマネコは年1回見れればよいほどのレベルらしい。

車窓を見るとアマゾンの熱帯雨林に来たかのような気分になった。

仲間川

仲間川は西表島を流れる河川であり、マングローブが生い茂る。

仲間川からは遊覧船が出ている。

あいにくの雨であった。

マングローブ林などを観測した。

また鳥の群れを見ることもできた。

由布島

由布島は国内で数少ない3次離島の1つである。
一般の人間は西表島から水牛車か徒歩でしか行くことができない。

現在は観光向けの植物園ができているが、かつては小中学校もあった人の住む有人島である。

西表島より水牛に乗る。

東南アジアに来たかのような気分である。

運転手によると水牛は週休2日制とのことであった。
労働基準法としては「毎週少なくとも1回の休日」と定められているため、水牛はホワイト企業の社員ともいえる。

乗り終えると水牛車は西表島に帰っていった。

ものすごい大風であり、八重山列島今年一番の寒さが来ていた。
汗をかけない水牛も寒そうにしている様相であった。

由布島内は整備された植物園の密林となっている。

マングローブなども間近に見ることができた。

植物園内には2月とは思えないほど花が咲き乱れている。

中学校校門跡もあった。

園内には蝶々園が併設されており、もはや恐怖すら感じるオオゴマダラの大群を見ることができた。

オオゴマダラのサナギは黄金であった。

最後に休日を謳歌する水牛達を掲載して由布島を終わりとする。

小浜島

小浜(こはま)島は与那国島を除けば八重山列島全体を一望できる位置に存在する島である。

あいにくの天候と時化とは裏腹に海は綺麗な水色であった。

諸々の都合でバスのみでの移動となった。

バスの前面に見えるのはシュガーロードと呼ばれており、さとうきび畑が広がる。

外では風とさとうきびの攻防戦が繰り広げられていた。

諸々の都合により、僅かな滞在時間で退散。

やってきたのは小型船であった。

死すら感じるほどの揺れであった。

竹富島

竹富島は要伝統的建造物群保存地区の指定を受けており、歴史的な街並みが保存されている。
観光的には一番沖縄らしい島とのことであった。

カイジ浜

カイジといえば賭博黙示録の方のカイジが出てきそうだが、ここカイジ浜は星の砂が取れる場所として有名である。

またしてもカラスがいる。

写真中央部に見えるのが星の砂である。
砂と言いつつも実態は有孔虫の殻であるが、なかなかに綺麗な形をしている。

集落

部外者でも入って良い建物があるらしく、そこにお邪魔した。

魚を加えたシーサーはあまりいないらしい。

デイゴの花も見ることができた。

綺麗な町並みであった。

与那国島

与那国島は皆さん御存知の通り日本最西端の島である。

島への交通手段は飛行機と船の2種類あり、船は日本一揺れると評判の「フェリーよなくに」で週2便運行されており、飛行機は那覇空港か石垣空港より日に数便運行されている。

飛行機は往復割引でも片道8000円、フェリーであれば3000円である。

折角なので「フェリーよなくに」に乗ろうと考えたが、欠航のリスクに加えて帰りの航空券が取れず断念した。
フェリーよなくにはYouTuberなどが多数紹介しているため、そちらに任せたい。

キャンセル待ちを狙い続けて、なんとか航空券を確保した。
与那国島に関しても別記事の紹介に任せたい。

他の八重山列島の有人島

八重山列島の有人島で今回訪れることが叶わなかった島としては鳩間島、新城島、嘉弥真島が挙げられる。

鳩間(はとま)島行きに関しては定期便があるものの、滞在した7日間すべての日で海が荒れ欠航となり行くことができなかった。やはり冬場の海は荒れやすい。

新城(あらぐすく)島と嘉弥真(かやま)島に関しては定期便が無いためツアーが必須であるが、このツアー自体は4月開始であったため、こちらも行くことができなかった。

おわり

八重山列島は比較的近距離に島が点在する。
しかし島ごとに言葉が違っており、東京の方言での「ようこそ」に対して沖縄本島の「めんそーれ」は有名であるが、石垣島では「おーりとーり」に対して黒島では「わーりたぼーり」など八重山列島の各島々でも言葉か異なる。

八重山語与那国語もユネスコが定義する「重大な危機」言語となっている。
もちろん滞在時耳にすることもなく、看板などでしか見れない。
ガイドの方いわく、高齢の人でも喋れる人が少ないらしい。日本における負の歴史である。

6泊7日も滞在した八重島諸島は雨季に来てしまい、ある日は半袖でも暑く、またある日は長袖でも寒いなど三寒四温レベルMAXのような世界であった。

歴史を踏まえて色々記事にしようとしたが、あまりにも暗い歴史が続くため控えめにした。
島では意外にも若い人が多いのだが、都会から来た若者が多いらしい。

多くの地方で高校卒業が今生の別れであるのに対して、八重山列島の石垣以外の島には高校がないため、中学卒業が今生の別れらしい。そして多くが島に戻ってこないとの話であった。

隣の芝生は青く見えるらしく、都会で育った人間は地方に憧れ、地方で育った人間は都会に憧れるのが世の常なのではないかと感じた。