急須で入れたようななにか

大学受験を頑張ってた

2022年10月20日

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正直ガクチカこれにしたい。でも高校生の頃の話なので、直接は使えない……

背景

中国地方(しかも山陰)の進学校出身。

がんばれた理由(仕組み面)

とにかく仕組みで解決していました。
周りに絶対に左右されない、自分のみと比較する世界を作っていました。

過去の自分と比較できる仕組みづくり

毎日勉強時間の計測をすることで定量的に勉強動向を可視化していました。
もちろん勉強時間が全てではないですが、一指標として役立ちました。

振り返り文化

毎日の計画を立て、さらに週間ごとの目標、振り返りをしていました。
単にその日だけでなく、複数のスケールで計画を立てていたのも勝因として大きいです。

習慣化

(必ずしも正義だとはいえないですが)例えば食事中も絶対に目を暇にしないようにするとか、休み時間は勉強するものとか、そういった当たり前を変えていくことをしてきました。

当たり前を疑って変え、習慣化できれば当たり前が変わります。

束縛

休日は学校解放、学校解放終了後は図書館に行くことで常に誰かに見られている状況を作りました。
私はいい子ちゃんを演じたい人間なので、ひと目でサボれないのでそれを利用した形です。

軸で大学選びをしていた

決断に感情を介入させないようにしていました。
センター試験大失敗でいち早く立ち上がれたのは雰囲気とかなんとなくで大学を選ばなかったことが要因です。しっかり軸があるのは強かったし、自分に対して理由付けがしっかりできました。

軸としていたもの

この状態でも複数出てきます。その中でより東京に近いもの、自信の偏差値として適切なものを選びました。

Webエンジニア志望としては筑波とか会津とか東工大がすごいって知っていますが、そんなの高校生に知る由もありません……(Webに関する知識がない状態で検索だけじゃたどり着けないのでWebエンジニアの知り合いなどがいないとわからないため)

今いる立場から見るとベストではないですが、全知全能でない当初としては適切すぎるほどの軸でした。

がんばれた理由(気持ち面)

地方と家を出たくてしょうがなかった。辛すぎて浪人したくなった。そろそろこの国やばいんじゃね?っていう謎の正義感。この3つですかね……
なので、結論は危機感です。

当時解決できなかった課題

両親ともに大学受験を経験していなかったため、身近に相談できる人が少なかったことや理解して貰える人が少なかったことです。